建造物

本山興正寺の建物および庭園は京都市の「京都を彩る建物や庭園」(選定番号8-027号)に選定されています。

阿弥陀堂(あみだどう)

大正4年(1915)再建

 

 本瓦葺二重入母屋造の興正寺の本堂で、中央に本尊の阿弥陀如来の木像を安置しています。左右にはインド、中国、日本の七高僧と聖徳太子の影像を安置しています。明治35年(1902)11月29日、それまでの本堂であった「ひとつ御堂」が焼失しました。現在の本堂は明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を経て、大正4年(1915)に再建されたものです。

御影堂(ごえいどう)

明治45年(1912)建立

 

 堂内中央には親鸞聖人40歳の姿と伝えられる木像、左右には興正寺御歴代の御影、九字名号、十字名号を安置しています。明治35年(1902)に焼失した本堂の再建に際し、両堂様式の御影堂が懇望され、新たに本瓦葺入母屋造の御影堂が建立されることになりました。10年の歳月をかけ、明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して完成しました。

阿弥陀堂門(あみだどうもん)

明治45年(1912)再建

 

阿弥陀堂の正面に位置する興正寺の正門です。三門より小振りですが、本堂前にふさわしい四脚門の格調高い様式となっており、門扉には牡丹唐草、柱には龍の彫刻が施されています。明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して再建されました。

三門(さんもん)

明治45年(1912)建立

 

御影堂の前に位置する二階建ての楼門です。三門とは空・無相・無願を経て涅槃に至る門、三解脱門を表しています。三つに仕切られた入り口があり、門扉には牡丹唐草に抱牡丹紋の彫刻が施されています。明治45年(1912)の宗祖650回大遠忌を期して建立されました。

鐘楼(しょうろう)

安永3年(1774)建立

 

本瓦葺入母屋造の袴腰楼造の鐘楼で、梵鐘の大きさは直径約1メートルあります。安永3年(1774)の桃園天皇の13回忌に際し、皇太后恭礼門院(一条富子)から梵鐘とともに寄進されました。経蔵とともに明治35年(1902)の火災を免れており、当時の興正寺を今に伝えています。

経蔵(きょうぞう)

嘉永元年(1848)建立

 

 初層は唐破風付白壁土蔵造、二層は唐破風付楼造、屋根は宝形造の経蔵です。中には経・律・論のすべてを収録した一切経がおさめられています。「法宝蔵」の勅額は孝明天皇より下賜され、額字は右大臣近衛忠煕の筆です。建立当初の位置が唯一変わっていない貴重な建築物です。

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