真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 甲斐和里子さんは、広島県の浄土真宗本願寺派勝願寺の住職で、学者でもあった父足利義山師と母早苗さんの五女として誕生されました。お母さんのお腹の中にいた頃より、お念仏の声があふれる環境でお育ちになりました。
 このことは、和里子さんのこれからの生涯に大きな影響を与えたのではないでしょうか。明治初期、キリスト教の教えを教育理念に掲げたミッションスクールが日本各地に創設されていきますが、当時、仏教系の女子学校はほとんどありませんでした。
 そこで和里子さんは、仏教の教えを教育理念に掲げた女子学校が必要であると考え、教師の資格を取得されます。やがて京都女子大学の前身である顕道女学院を創設され、九十五歳で亡くなられるまで、生涯をかけて女子教育に力を注がれました。
 その人柄は、ボーイッシュで活発、ユーモアを好みジョークが上手、勉強熱心で誠実であり、自己に厳しく前向きで明朗な人格づくりを心がけていたといわれています。
親鸞聖人のみ教えに生きられた和里子さんは、浄土真宗のお心を人々に届けるため、多くの書物を残しておられます。随想集『草かご』(一九三六年)には次のような一節があります。

もとより総入歯で妙な口でございますが其の妙な口からお念仏がおでましくださいます。(中略)、さほど尊いお念仏がややもすれば人をそしったり、要らぬことを言いちらしたりする下品な下品な口から、(中略)、昼でも夜でも…ドンドン御出ましくださるということは誠に不可思議千万で勿体のうてたまりません。

 お念仏が私の口を割って下さるのは、母親のように慈愛あふれる阿弥陀さまが、この私にひと時も休みなくはたらいていて下さるからです。和里子さんのご法悦のお心を頂戴しますと、阿弥陀さまのお慈悲がこの私の口からお念仏として出て下さることが尊いことであり、私の称えるお念仏が阿弥陀さまのはたらきより他にないことをおよろこびになっておられます。

 しかし、現代人の私たちには、経験的事実で「死んだらおしまい」、「死んだ後は何もない」と考えてしまう風潮があるようです。「無常」ということすらも真正面から受けとめられない人間になってしまっています。阿弥陀さまや阿弥陀さまの住まうお浄土は、肉眼で見ることができ、肉声で聞くことのできる世界ではありません。科学的に実証することの出来る存在、世界ではありません。

 阿弥陀さまやお浄土は、南無阿弥陀仏のお名号に込められた阿弥陀さまのお慈悲のはたらきを疑いなく素直にいただいていく中で開かれていく世界です。科学的な教育を受けた私たち現代人は、「そうは云っても阿弥陀さま、お浄土は見えないし、阿弥陀さまのお声は聞こえない」と抵抗する心が根強くあります。

「見えない」、「聞こえない」と、常に私たち衆生の眼から求めるのでなく、阿弥陀さまのお慈悲のお心に耳を傾けることが大切です。なぜご苦労を重ねてお念仏を仕上げ、お浄土を建立されなければならなかったか。このことに思いをいたす時、「そうだ、この私のためだったのだ」と気づき、頷かれる世界が開かれてくるのです。たとえば、台所から「ご飯ですよ」と母親のよび声が聞こえてきます。

 そのよび声には、ご飯ができあがっており、私に食べてくれよとすすめて下さっている母親の心が込められています。信頼する母親のよび声ですから、本当か、嘘かを疑う事はありません。

 私たちは、母親のよび声に「ハーイ」、「ありがとう」「いただきます」と返事をするのです。私の応答は、お母さんのよび声によって初めて成り立ちます。阿弥陀さまのおよび声、それが私のお念仏です。

 今月ご紹介されている和里子さんの言葉は、実に格調の高い響きがあります。煩悩興(こう)盛(じょう)である我らが衆生の胸中に、阿弥陀さまはひと時も休みなくおはたらき下さっています。私の称える南無阿弥陀仏のお名号に込められた阿弥陀さまのお慈悲に目覚めていくよろこびが、また、阿弥陀さまのお慈悲を確かな拠り処として頂けた頷きが知らされてまいります。和里子さんは、その生涯を教育に注がれながらも、頷かれた法悦を大切にされながら、一人でも多くの人々にお伝えしたいという強い信念に生き抜かれたのです。

本山布教使 吉阪好史
(奈良県 徳善寺) 

                            

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