真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 今から213年前の享和元年(1801年)に山口県下関の六連(むつれ)島(じま)に一人の妙好人・お軽さんが誕生しました。
 少女時代からおてんばぶりを発揮し、娘時代には気性の激しい男まさりの性格で、六連島の青年たちは“お軽のところには養子に行ってはならない“と言い合っていたそうです。
 19歳になって幸七という28歳の青年を養子として迎え、お軽は貞淑な妻に変身、懸命に夫に仕えたが、下関や北九州に野菜の行商に出た夫の幸七に愛人ができ夫婦に破局が訪れ、お軽の嫉妬はただならぬものであったといいます。この夫の浮気が逆縁となり、島に唯一ある西教寺の住職を訪れ苦しみを打ち明けた。



「幸七さんの浮気はあんたのためにはかえって良かった」
「良かったとは何ですか」
「こんな事がなければ、あんたは仏法を聞くような人ではない。だから良かったのじゃ」

 こんなやりとりの後、やがてお軽さんは熱心に聞法するようになった。歳月が流れ、三十五歳の時、風邪がもとで生死の境をさまよい病床で自分の無力を痛感し、如来さまのお慈悲がしみじみと味わえてきた。
 この頃から、お軽さんの口から信心の喜びが次々と歌となって生まれ、文字は一字も読み書きできないが、歌が思い浮ぶたびに西教寺へかけこんでは住職に筆録してもらい、やがて夫の幸七や六人の子供たちともそろって法座に参詣するようになった。
 そんな時に出来た一首が

「きのう聞くも 今日またきくも ぜひに来いとのおよびごえ」

です。お軽さんは毎日西教寺に通い仏法を聞いてなんとか心を落ち着け、嫉妬(しっと)や憎悪(ぞうお)の苦しみから逃れようとした。
 けれども、なかなか安らぎは得られない悩みながらの聞法が続く。
 そのうち自分を裏切った幸七や夫を奪った愛人のことよりも、人を憎み呪い、怨(うら)み妬(ねた)む自分自身のことに目が向けられてきたのである。
 罪業(ざいごう)深重(じんじゅう)の凡夫という言葉が切実に胸に迫って、こんな私も果して救われるのだろうか…。
 しかし、なかなか如来の慈悲を素直に受け取ることができず「お慈悲が聞こえてきません」と悲痛な叫びを放ちながらもお軽さんはひとえに聞法し続けたのである。
 妻の聞法に励む姿、お念仏を喜ぶ姿が幸七にも影響を与え、二人たがいに仏法の友になっていた。ある和上が言われるに「お念仏を喜ぶ人は、磁石が針をくっつけ、その針が磁石となって他の針を引き寄せるように…。」
 お念仏という磁石が働くといつのまにやらまわりに念仏の友の輪が広がってゆくようである。まさにその例がお軽さんです。
 仏教の大目標は“仏に成ること”です。今、お軽さんの生涯の生きざまを見てみると、幸七の浮気というどこにでもあるような事がきっかけで聞法の世界に入ったとなっていますが、夫を憎しみ他人を嫉妬し自分を正当化している間は、他人の言葉は一切耳に入らない。
 しかし、住職の厳しい言葉により憎悪(ぞうお)・嫉妬(しっと)の念(おも)いを自己自身に求めていったことが聞法への契機になったのではないか。
 “仏に成る”ということは、自分自身に目覚(めざ)めること、その目覚めは仏の真実の言葉を問い続けることなのです。
 浄土真宗で信心のご利益(りやく)はと問われれば、“転(てん)悪(まく)成(じょう)善(ぜん)”と答えます。悪とは人間悪、煩悩具足のまま仏法を聴聞し続けてゆくと、いつのまにやら心がやわらぐ。
 ちょうど春の陽ざしで冷たい氷がやがてあたたかい水となるように、凡夫のかたい心もやわらかな心と転じてゆくのです。
 お軽さんも毎日の聞法の中で罪業深重の自分に気づき、気づかせてくれた阿弥陀さまの兆(ちょう)歳(さい)永劫(ようごう)の叫びが、ひとえにお軽を救うためであったのかと聞こえた時、昨日や今日のご縁でない不思議な時間を感ぜずにはおられなかったのでしょう。
 聞けば聞くほど無理な教えではない。お軽のような愛憎(あいぞう)にくるっている胸中に大悲の親はとびこんで、まちがいなく浄土の世界へと導くぞのお呼び声こそ南無阿弥陀仏であったのです。
 私達の毎日の生活の中で言う、あれが足らないこれが足らないという不平不満は生活苦であって人間苦ではありません。
 仏教は生活苦からの解放ではなく、人間苦からの救いなのです。
 人生はまさに四苦八苦(しくはっく)、生(しょう)・老(ろう)・病(びょう)・死(し)という四苦そのものを私が本当にどう向き合ってゆくか、非常に難しい問題です。
 でもその答えは、阿弥陀さまが用意して下さっているのです。
 親鸞聖人の言葉に「本願を信じ念仏申さば仏に成る」があります。
 私達はお軽さんのように素直に本願(仏さまの本当の願い)に耳を傾ければ、必ず無量光明土(浄土)という明るい世界が開けてくるぞと、阿弥陀さまは言われるのです。

“ぜひに来いとのおよびごえ”

阿弥陀さまの本願の勅命にただただ素直に従ってゆく念仏者の生きざまがそこに見えるようです。

合 掌



本山布教使 柴田好政
(香川県 勝名寺) 

                            

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