真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 浄土真宗の開祖である親鸞聖人は、お念仏の「南無阿弥陀仏」について、次のように解釈しておられます。「南無」とは「帰命」であり「帰命」を「帰(き)せよの命(めい)(私に帰せよと命じる阿弥陀仏の喚び声)」と読まれ、お念仏を「本願招喚の勅命」と頂かれました。

 お念仏とは、「必ず救う、安心して我に任せよ」と、私を喚んで下さる阿弥陀仏の喚び声であると理解されたのです。

 また、従来の念仏思想においては、「帰命」を「教(きょう)命(めい)(阿弥陀仏の仰せ)に帰順する(お任せします)」と解釈します。

お念仏とは阿弥陀仏の喚び声を聞き、阿弥陀仏のご恩を感謝して頂く報恩のお念仏とも言えるのです。
 ですから「南無阿弥陀仏」とは、本願招喚と報恩念仏を併せ持っているところが、浄土真宗における阿弥陀如来大悲回向のお念仏のお心となるのです。
 このお念仏のお心を、ある先人の詩歌を通して味わってみたいと思います。 

  南無阿弥陀仏 心ひとつに 味ふたつ
     親の喚ぶ声(本願招喚)子の慕う声(報恩念仏)


 「親の喚ぶ声(本願招喚)」とは何でしょうか?
 香川県に、庄松さんというお念仏を喜ばれた妙好人がおられました。
 お手(て)次(つぎ)寺(でら)の住職が庄松さんをとてもかわいがられるので、お手伝いの僧侶の一人が「ひとつ庄松をからかって困らせてやろう」と思い、『無量寿経』を取り出して、「ここを読んでくれ」と差し出しました。庄松さんは「わしゃ読めんけんのう」と断ると思いきや、「読ませてもらおうかのう」とお経さまを上下反対に頂いて、「庄松、助くるぞ。庄松、助くるぞ」と読んだと言います。
 なんと素晴らしいご領解(りょうげ)ではありませんか。経文(きょうもん)の字面(じづら)を読むのではなく、真実を読み取っているのです。まさしく『無量寿経』に述べられている阿弥陀さまのご本願は誰の為でもない、私一人の為のものでした、と経文の中から阿弥陀さまのお喚び声を頂かれておられるのです。

『歎異抄』後序には、親鸞聖人のお言葉として、

 弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。


と語られています。「私一人のためのご本願である」と親鸞聖人が頂かれたのを、表現こそ違え、庄松さんも自分一人の為に喚びかけて下さっていると頂かれたのでありましょう。

 では、「子を慕う声(報恩念仏)」とは何でしょうか?
岐阜県に、中村久子さんという方がおられました。久子さんは、病にかかり両手両足を切断しながらも、お念仏の教えによって絶望の淵から救われ、生涯を通してお念仏の道を歩まれた方です。両手両足を失った久子さんは、義父から、人目に触れさせないように家の二階に隠されて、不自由な生活を強いられていたそうです。

 それを見兼ねた母親は、しばらくの間、久子さんを自分の母親(久子さんの祖母)に預けました。お念仏者であった久子さんの祖母は「授けられた命には少しの不満を抱かず、お念仏申しながら一心に努力して、阿弥陀さまのみ心に背かぬようにしなければならない」と教え伝えながら、久子さんを人前に出して、卑屈にならぬよう、ひがまぬようにと、ありのままの姿を受け入れる心を教えていきました。

 その祖母のお育てのお蔭で久子さんの考え方が変わり、今まで「両手がない、両足がない」と、ないところばかり考えて苦しんでいた気持ちから、「ある、ある、ある」とつぶやいては、身体のあるところ、恵まれているところに気づくことが出来るようになったのです。

 そして、久子さんは「生かされて生きている」、「人生に絶望なし、如何なる人生にも、決して絶望はない」と語る人生が育まれていったのです。この言葉こそ、もう既に阿弥陀さまに救われているお姿であり、お念仏に出遇っている喜びの姿でありましょう。

 お念仏の救いとは、苦悩の中に阿弥陀さまの喚び声が響き、阿弥陀さまと共に歩むみほとけのはたらきによって、まことの幸せへと転じられることです。まさに生きる苦しみや喜びの中から生まれた言葉が、私達の口から出る「南無阿弥陀仏」なのです。

合 掌



本山布教使 秋山和信
(香川県 慈照寺)

                            

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