真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 仏様(お仏壇)に手を合わせるようになったご縁は、多くの方が身近な人を亡くされたことがきっかけだと思います。身近な人が亡くなるのは悲しく辛いことですし、交通事故や急病などであっという間に亡くなった場合は驚きもあったと思います。
 同じように親鸞聖人も身近な人を亡くしておられます。それは明法房というお直弟子です。親鸞聖人は、越後流罪が赦免された後、42歳の頃、常陸(茨城県)へ向かわれ、布教活動によって念仏者をどんどん増やしていかれました。
 しかし、親鸞聖人より前にその一帯を拠点としていた山伏(修験道)がいました。名前を弁円といいます。
 弁円のグループは一大勢力を誇っていましたが、親鸞聖人の真実の教えに自分の弟子も信者もどんどん念仏者になってしまいます。
 そこで、弁円は怒り狂って親鸞聖人を殺そうと出向いていきます。けれども、数珠をもっただけの慈悲温厚な親鸞聖人のお姿を一目見て回心するのです。
 「あなたを殺そうと思って来ましたが間違いでした。どうぞ私を弟子にしてください」と。弟子となった弁円は明法房と名告ることになりました。
 親鸞聖人は60歳過ぎに京都へ戻られましたが、明法房はそのまま常陸で布教活動を続け、やがて親鸞聖人79歳の時に明法房は68歳で亡くなりました。その知らせを聞きしたためたお手紙には、

御房の往生のこと、おどろきまうすべきにはあらねども、かへすがへすうれしく候ふ。
鹿島・行方・奥郡、かやうの往生ねがはせたまふひとびとの、みなの御よろこびにて候ふ。


とあります。
 明法房が死んだことは「驚くことではない、うれしいことであります」と言っておられます。我々が抱く悲しく驚きの感情とは全く逆です。
 親鸞聖人は死ぬことは驚くことでなく、今生きていることが驚くことなんだと仰っているのです。1歳であろうが100歳であろうが必ず死ぬ命が死ぬのは当たり前です。いつ死んでもおかしくないいのちを今生きているのが不思議なことなのです。そうすると、今日まで生きてこられて、今生きていることが、どれだけ有難いことでしょうか。
 更によく読んでもらうと、お手紙には死ぬとありません。往生とあります。起こっている事実は同じですが意味が全然違います。

 「往生」とは“生まれ往く”ということです。生まれるということはこれから先があるということです。往生の往は出したら返してもらう「往復葉書」、旅行の往き道の「往路」、病気を診て病院へ医者が帰る「往診」など、「必ず帰る」というときに使います。つまり仏となって還ってくるのです。だから親鸞聖人は「明法御房の死のこと」とは言わずに“明法御房の往生のこと”と仰られたのです。
 それを親鸞聖人は

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。

と『教行信証』の教巻におっしゃっておられます。
 亡き人の為を思い、手を合わせることは尊いことです。実は、拝んでいた私は、往生したお父さんに、お母さんに、お婆ちゃんに、お爺ちゃんに、場合によっては我が子に拝まれているのです。だから、私も間違いなく往生するのです。


合 掌



本山布教使 谷口亮昭
(兵庫県 西教寺)

                            

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