真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 日頃、私達が何気なく使っている言葉にはその語源が仏教であるものが実に多いのです。その1つに「火の車」があります。火の車とは仏教語「火車(かしゃ)」を訓読みした語です。
 火車とは火の燃え盛った車の事で、獄卒の鬼が生前に悪行を働いた者を乗せて地獄へ運び、責め苦しめるといわれるものです。
 その為、この火の車に乗せられた者はひどい苦しみを味わうことから、苦しい(経済)状態を表すようになったそうです。

 とんちで有名な一休禅師がこんな法話を残されています。

  火の車 つくる大工はなけれども  己がつくりて 己が乗りゆく


 この歌は誰が「火の車(苦しみの状態)」にしているのかという事を詠まれたものです。そして私達が自らの執着心(物事にとらわれ、離れられなくなる心)によって、自らを苦しめ、その苦しみの絶えない世界である地獄(自業苦)を作り出しているのだという事を示されているのでしょう。

 ものが 縛るのではありません ものをとらえる心に 縛られるのです
                                 仲野 良俊


 まさにそうなのです。自らの執着心によって自身を縛りつけ、苦しめているだけなのです。
「わかる」という事と、「できる」という事には大きな隔たりがあります。私達は都合が悪くなったり、苦しくなったりすると、火の車を作り出しているのは、私以外のせいなのだと考えてしまいます。
 そして、「世の中や時代が悪い」とか、「あの人のせいだ」と責任転嫁し、ついには「こんなはずではなかった」と愚痴をこぼすのではないでしょうか。そして、「わかっちゃいるけど、やめられない」というのも私達の有り様でありましょう。

  煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我
                  『正信偈』

  煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども 大悲ものうきことなくて 
  つねにわが身をてらすなり
                 『高僧和讃 源信讃』

 いつでも、どこでも、そして全てのものを救わずにおれないという大慈悲心に溢れた仏こそが阿弥陀さまなのです。阿弥陀さまは、私達に「どうか真実に気付いてほしい、目覚めてくれよ」と私達に呼びかけ続けていらっしゃるのです。
 自らで作った火の車に苦しみ、離れるどころかつくり続ける私達に「そんなあなただからこそ、ほっとけないのだよ。」と言って下さる阿弥陀さまにおまかせしていくしかありません。ますます仏法聴聞を重ねていきたいものです。
       


合 掌

本山布教使 吉阪史孝
(奈良県 徳善寺)

                            

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