真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 最近、「明日の幸せのために今日を頑張ろう」という言葉をよく聞きます。それが当たり前に思い、心地よく聞えるかもしれません。

 田畑正久医師は『今を輝いて生きるために』の中で、次のように語っておられます。

 ある坊さんは“明日こそ、幸せになるぞと言って生きているということは、今、現在が、不足・不満ということを示しているにすぎない”と言っています

 今日の生活のあり様は、不足・不満を満たすために、自分に都合のいいものを集め埋め合わせ、都合のわるいもの、煩わしいものを切り捨てるということをしています。不足・不満の心は欲であり、きりのないものです。明日になったら満たされるものではいでしょう。
そして心は、今日を離れて或いは明日へと動き回ります。明日こそは、と言い続けているところには、今日、今がないわけです。人は身を生きているということから言えば、心は身を離れることはできません。
 「明日ありと思うその明日に導かれて、人はついに自分の墓場に至る」という教訓があります。今日を生きなければ明日を生きることはできません。明日死ぬかもしれないのです。やり直すことはできず、空しく終わることになってしまいます。私達は今日、今ということを、どれ程大切に受けとめているでしょうか。

 「今月の法話」は大神信章師のお言葉です。この世のあり様は、諸行無常です。縁により生じ、縁がなくなれば滅するのです。私たちの人生も遇縁の日々です。「今、ここに生きる」とは、遇縁の人生に立ち、今を受け止め、今を問いかけ、精一杯、誠実に生きるということでしょう。

 生きるということは何によって成り立っているのでしょうか。
谷川俊太郎さんの「からだはいれもの」という詩に次のような一節があります。

 からだはこころのいれもの、いつかこわれて土にかえる・・・
 摘んだ花はすぐにしおれる、摘まずに見つめる花は長生き…

 思い通りに生きたい。それは、可愛らしい花を切り集めて飾るようなものでしょう。花には、目に見えない根があります。根は、大地に包まれています。大地は、太陽や雨など多くの恵みによって豊かになります。摘まずに見つめる。それは、多くの恵みによるいのちの営みを知り、今生きていることの感動と不思議さに心打たれた表現ではないでしょうか。

 老病死は、必ずやってきてきます。どうにもならない悲しみや悩みを与え、様々な不安を生みます。しかし、いのちに横たわる老病死は、いのちのまことに気付かせるきっかけを届けてくれます。生き方を問い直す機縁を与えてくれます。

 今、ここに精一杯、誠実に生きるという心の源に何があるのでしょうか。広瀬杲師は『歎異抄の心を語る』の中で、このような言葉を残して下さっています。

 苦しみや悩みを避けるために耳を清らかにして、そして願いを聞こうとしたってこれは聞えてこないのです。反対に苦しみや悩みに出会いながらも人生を無駄にすまいという、命の根源から湧いてくる活力とでも言っていいもの、その活力が苦しみや悩みの中で、本願を聞きとる耳を育てるわけなんですね。育て、その苦しみやその悩みの中に本願を聞き取っていく。

 折角頂いたいのち、「無駄にすまい」と思うのです。


合 掌

本山布教使 西川和潤
(東京都 宝光寺)

                            

戻る