真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 「頑張れば必ず報われる!」、「努力は必ず報われる!」
 私たちの世界では、しばしば合言葉のように使われます。乗り越えなければならない大きな壁にぶつかった時、人生の中でここぞという時、私たちはこの合言葉を信じて力を振り絞ります。

 夏の風物詩である全国高校野球選手権大会が、今年も私たちに感動を与えてくれました。歓呼に後押しされながら、目の前にある一勝を挙げるために、ユニホームを汚しながら一心に白球を追いかける高校球児。
 甲子園で勝利するために、「頑張れば必ず報われる!」、「努力は必ず報われる!」を合言葉に、どれだけの練習をし、どれだけの悔し涙を流してきたのか。
 私たちはテレビの前で、球児一人ひとりのそんなかけがえのない物語を想像しながら、感動を分けてもらうのです。勝利したチームには、これまでの頑張りが報われたねと拍手を送り、敗れたチームには、頑張りが報われない時もあるさと慰めます。
 しかし、よく考えてみると、勝負の世界ですから、甲子園で優勝できるのは、全国何千校とあるなかでたった1チームだけです。
 だからといって、優勝したチーム以外は、頑張りが足りなかったのでしょうか。そんなことはありません。努力が足りなかったのでしょうか。そんなことはありません。みな一様に持てる力すべてを出して頑張り、努力をしてきたのです。

 私たちは、「報われた人生」は頑張ってきた人生であり、「報われなかった人生」は努力してこなかった人生だと、しばしば人生に優劣を付けてしまいます。人生に優劣が付けられると、慰めよりも拍手をもらえる人生が欲しくなります。
 そうすると、いつの間にか私たちは、「頑張って報われる人生こそがもっとも価値あるものだ」と考えて生活をしてしまうのです。拍手がもらえる「報われる人生」を歩むために、背伸びをし、片意地を張って頑張る人生。そのような人生は、息がつまり、行き詰ってしまうのです。これを「世俗の論理」と呼ぶのです。

 お釈迦さまの教えに、「弾琴の喩(だんきんのたとえ)」というものがあります。
 誰よりも修行に励んでいた弟子のソーナは、これほどまで一生懸命になって修行をしているのにいっこうに悟りの境地に至ることができないと、修行に行き詰った悩みをお釈迦さまに打ち明けます。ソーナの悩みを聞いたお釈迦さまは次のように語りました。

ソーナよ、琴をかなでるには、あまり弦をつよく緊(し)めすぎてはいけないだろう。
だからといって、ソーナよ、弦がゆるすぎてもいけないだろう。
あまり強からず、弱からず、ほどよく弦を緊めることが大事・・・
わたしの説くこの道の修行もまた、まさにそれと同じである・・・
刻苦(こっく・努力し励むこと)にすぎると、心がたかぶって静かなることをえない。
だからといって、にすぎるとまた懈怠(けたい・怠るこころ)におもむくであろう。
ソーナよ、ここでもまた、なんじはその中道(ちゅうどう)をとらねばならない。
 

参考 増谷文雄『ブッダ・ゴータマの弟子たち』


 お釈迦さまがお説きになられた仏法というみ教えは、頑張り通しで疲れ切って行き詰っている私たちに、頑張りすぎない道もあるんだよ、と教えてくださいます。優劣をつけないでいい人生もあるんだよ、と教えてくださいます。
 仏法のみ教えに触れながら、「世俗の論理」を見つめなおし、「中道」の人生を歩んでいきたいものです。
 


合 掌

本山布教使 宮本大悟
(香川県 円福寺)

                            

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