真宗興正派 本山 興正寺

真宗教団連合発行の法語カレンダー、ご覧になったことがありますでしょうか?
毎月一つの法語から真宗興正派・本山布教使の方々にお話を頂く今月の法話です。

合  掌


 今年も「忙しい、忙しい」と闇雲に過ごしているうちに一年が終わろうとしています。
 せっかくいただいた命を空しく過ごしてしまわないように、感謝の気持ちを忘れず、一日一日を大切に過ごすことができたなら・・・どんなに素敵なことでしょう。
 しかし、私たちは自分の身に不都合なことが起きると人や世間のせいにし、間違った自分のものさしで周りを見ているにもかかわらず、涼しい顔のお面を被って暮らしているのです。
 
 私たちの本当の姿といえば、「三つの毒」の袋をぶら下げて暮らしています。
 美しい景色、清い言葉、美味しいものに出会ったときの心は澄み、静かなものですが、テレビをつけると魅力的な宣伝に心が奪われます。百貨店へ行くと、次から次へと欲しいものが現れます。気に入って買った服を着て出かけても、また新しい服が欲しくなります。これは「むさぼりの心」です。“more and more”の世界、際限なく欲しがる恥ずかしい我が身の姿です。

 また、体調を崩して病院へ行っても、なかなか自分の診察の番がまわって来ないものです。そうすると、イライラします。やっと自分の番が来た!とホッとしたのもつかの間、次は会計待ち。薬をもらって帰る頃には、ひょっとすると体調の不良よりも思い通りにならないことへの腹立ちのほうが上回っているかもしれません。これは「怒りの心」です。

 そして、「こんなはずじゃない、どうして私がこんな目に遭わなければいけないの?」「そもそも、どうして病気になんかなってしまったんだろう」と自己中心的な思いがメキメキと顔を出します。病気になる因があったために、その結果として病になったことは、落ち着いて考えれば分かることですが、そのような道理も見失ってしまうのは「愚かな心」の仕業です。

 これらの「三つの毒」は、どんなにお金持ちの人であっても、地位を築いている人であっても、容姿端麗な人であっても、持ち供えているのです。

 しかし、親鸞聖人は誰しもが持つこの醜い心のあり方を否定されませんでした。聖人自身、静まらない心を収めることに苦労されましたが、醜い心を抱えている私だからこそ、真実の教えを聞く身にさせていただいたのだと気づかれたのです。 親鸞性には「正信偈」に、「不断煩悩得涅槃[ふだんぼんのうとくねはん]」(煩[わずら]い悩む身が障[さわ]りともならないで、その煩いさえもまことへの目覚めの糧となる)と言われています。

渋柿の 渋がそのまま 甘味かな


 このような詩もあります。渋柿は名前のとおり大変渋味がきついものですが、太陽の光に照らされて、自然にその渋味が甘味へと変わっていきます。煩いの心は、清い心ではありませんが、その醜い心に悩まされたおかげでお念仏のみ教えを聞く身にさせていただいたのです。そしてその煩いの心は、お念仏のみ教えを通して、素直な心へと変わっていくのです。

 来る日を闇雲に過ごし、苦しい時にだけ助けを求めて手を合わせるのが「生活の中で念仏する」姿ですが、お念仏のみ教えに遇い、三つの毒を持つ我が身をわきまえた者は、「おかげさま」「ありがとう」と自然に手が合わさります。感謝の気持ちが芽生えると、毎日の生活が豊かになります。これが「お念仏の上に生活がいとなまれている」姿なのです。

合 掌

本山布教使 佐藤 弘文
(鹿児島県 西蓮寺)

                            

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