郡家興正寺別院
郡家別院外観
明治10年(1877)4月、第27世本寂上人より西讃の門信徒へ六字名号が下附されます。
本寂上人がその年の12月に入寂された後、明治15年(1882)に上人を追慕する西讃門信徒によってご遺骨が分骨されました。
郡家興正寺別院は、上人のご遺骨をご安置するため郡家の地に廟所を建立したことが始まりです。
明治22年(1889)に京都山ノ内別院より堂舎を移築し、郡家興正寺別院と号することになります。
大正4年(1915)には第28世本常上人のご遺骨が分骨されています。