【百九十七】承応の鬩牆 その六 「三箇条訴状」

2019.08.27

 承応二年(一六五三)三月一日、月感の訴状が良如上人のもとへと提出されます。訴状は西吟の非を三箇条にわたって書き上げたもので、訴状の奥には承応二年二月八日との日付が書かれています。この「三箇条訴状」には西吟の教学の理解に対する批判とともに、西吟の日ごろの行ないに対する批判も述べられています。思考とともに、行動をも批判しているのです。

 「三箇条訴状」でまず批判されるのは、西吟の教学の理解についてです。

 

 学寮講談之様子承候得者、自性一心之理談のミにて、御家安心之談ハ少も無御座候と申候ニ付而、能化自作之章疏並ニ聞書等ヲ取寄、披見仕候得者、十ニ九は禅家之一心自性之理観、残而一分二分者偏空の邪見にて御座候

 

 西吟の学寮での講義は、衆生には本来的に清浄な性質である自性が備わるといったことばかりを説き、真宗の安心については何も説かないということなので、西吟の書いたものや講義の聞書をみてみると、その十分の九は禅宗でいう一心自性のことで、のこりの一も空に偏った邪見であったとあります。月感は、西吟は禅宗で説かれるようなことばかりを講義しているとして、こうしたことでは真宗の教えは滅んでしまうと主張します。次いで、月感は西吟の行動を批判します。

 

 私、正月十一日より出仕仕り候ニ、先月廿八日と今日二月八日之朝より外、一朝も御内陣にて能化を見不申候、勿論、所化共も同前ニ而御座候

 

 一月十一日より御堂に出仕しているが、その間、一月二十八日と二月八日以外、西吟が内陣に出仕しているのをみたことがないとあります。続けて、西吟の弟子の所化たちも同様で、出仕することがないと書かれています。勤行がおろそかにされているというのです。

 

 月感は西吟が禅宗の教えのようなことを説き、勤行をおろそかにしていると批判しますが、この二つは互いに関連しあう事柄です。「三箇条訴状」には、西吟は真宗の教えをさげすんでいると述べられています。

 

 御当家之安心之一途を勧化分と名を付け、あさけり申候

 

 西吟は真宗の教えを仏教の知識のない者への勧化のための方便の教えと見做し、勧化分と呼んでさげすんでいるとあります。月感は西吟がこうして真宗の教えを劣ったものとみるため、真宗の教えではなく禅宗の教えを用いるのだと捉えています。真宗の教えを劣ったものとみるのは阿弥陀如来や親鸞聖人に対する尊崇の思いがないということですが、これは勤行をおろそかにしているということにも通じることです。阿弥陀如来や親鸞聖人に対する尊崇の思いがないため、勤行をおろそかにするのです。月感は、西吟は真宗そのものをさげすんでいるとして批判を加えているのでした。西吟は能化です。一般の僧侶は能化に従い、各地の門徒たちはその一般僧侶に従います。能化の考えや行ないは僧侶のみならず門徒たちにも影響を与えます。

 

 若此まゝ被召置候ハヽ、寺々のしらすには草しけり・・・仏を拝ミ申候者も、三宝に一紙半銭をなけうち申候者も、漸々に御座有間敷候

 

 真宗をさげすんでいる西吟をそのまま能化に任じるのなら、その影響を受け、各地の寺は荒れて白州に草が茂り、阿弥陀如来を拝する者も、寺に懇志を捧げる者もいなくなると月感は主張しています。

 

 月感は、西吟は禅宗の教えを重んじているといっていますが、これについて、月感は、西吟は豊前の圭西堂とか豊後の雪窓といった禅僧の弟子となったため、禅宗を重んじるようになったと指摘しています。このほか月感は、西吟は師伝口業は必要でないといっているが、これも誤りだとして批判しています。師伝口業とは師の口伝のことです。

 

 「三箇条訴状」に述べられる批判はこういったものですが、月感の批判はこれに尽きるわけではありません。「三箇条訴状」には西吟への批判はまだ多くあると書かれています。そして、月感は「三箇条訴状」に、その述べきれない批判について良如上人から尋ねられれば、直接、良如上人に申し上げると書いています。

 

 上様御尋も御座候ハヽ、御前にて一一可申上候

 

 月感は西吟の問題は、良如上人の前で月感と西吟が討論をし、良如上人が両者の正否を判断して解決されるべきだと考えていました。どのようなかたちで解決していくのかはすべて良如上人が決めることですが、実際にそうしたかたちで解決されるように月感はあえてこうしたことを書いているのです。

 

(熊野恒陽記)

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