【二十】「絵系図 その一」 ~絵系図の意義~
2019.08.26
名帳とともに佛光寺の教化の特徴とされるのが絵系図で、佛光寺というと絵系図を想起するほどに絵系図の名はひろく知られるところとなっています。絵系図は名帳をもとに考案されたもので、いわば名帳を発展させたものといえますが、伝来した数量には大きな違いがあって、名帳がほとんどのこされていないのに対し、絵系図の方には割合にのこされたものが多いという特色がみられます。これは両者の用いられた状況を反映するもので、名帳よりも絵系図の方が用いられることが多かったということを示しています。
実際、一部の地域では現在においても絵系図が用いられており、絵系図の方により人心をひきつけるものがあったことをうかがわせます。
現存する絵系図のうち、もっとも古いのは佛光寺本山と佛光寺の門前にある長性院(ちょうしょういん)とに蔵される絵系図で、了源上人の在世中に作成されたそのものが伝えられています。佛光寺本山本と長性院本は、本来、ひと続きだったものをのちの時代に分割したものであり、双方を合わせみることで、当初の絵系図の形状を復元することができます。
それによると、体裁は巻き物の体裁である巻子本(かんすぼん)になっており、紙を横に長く貼りつぎ、そこに僧と尼の姿がつらなって描かれています。なかには武士の姿をした俗人の絵も描かれていて、そのほかにも俗人の女性や子供の姿なども描かれます。描かれた人物の間には朱線が引かれ、系図のかたちに結ばれています。絵系図の冒頭には「一流相承系図」の題が付されており、それに続けて絵系図作成の趣旨を記した序文が書かれています。
序文にしたがえば、絵系図の作成の理由はいくつかあって、次第相承の儀を正しくすること、同一念仏のよしみを思って末の世まで形見をのこすとのことなどが作成の理由としてあげられています。
予カスヽメヲウケテ、オナシク後世ヲネカヒ、トモニ念仏ヲ行スルトモカラ、ソノカスマタオホシ…イマコノ画図ヲアラハストコロナリ、コレスナワチカツハ次第相承ノ儀ヲタヽシクセシメンカタメ、カツハ同一念仏ノヨシミヲオモフニヨリテ、現存ノトキヨリソノ画像ヲウツシテ、スエノ世マテソノカタミヲノコサントナリ…
予とあるのは了源上人のことで、自分の教えをうけた念仏の行者が増えたことから、その次第相承の儀を正しく示すために絵系図を作ったといっています。絵の方もこれに対応しており、筆頭に了源上人とその妻の了明尼を描き、そこから朱線がのびて以下の人物を結んでいます。朱線は血脈の相承を表し、了源上人から教えが次つぎにひろがっていったということを示しています。
ここでは次第相承の儀を正しくするということが強調されていますが、誰に教えをうけ、誰に教えをさずけたかとの次第の相承は、この時代にはきわめて重要なことと考えられていたもので、現代の感覚とはかなりちがったとらえ方がされていました。正しい教えは正しい相承があってはじめて伝えられるものであり、相承がなければ正しい教えもまたないというとらえ方で、いわば自身の信仰の正しさを証明するものとして相承が重視されました。相承のはじめには、当然、親鸞聖人が位置するわけで、序文にも親鸞聖人から血脈が相承されていることが述べられ、相承の系譜が聖人につらなるものであることが示されています。
親鸞聖人ハ真宗ノ先達、一流ノ名徳ナリ…カノ御門徒アマタニアヒワカレタマヘルナカニ、予カ信知シタテマツルトコロノ相承ハ、真仏、源海、了海、誓海、明光コレナリ、コヽニ了源カノ明光ノヲシヘヲタモチテ、ミツカラモ信シ、人ヲシテモ行セシム…
絵で表されるのは了源上人以下の血脈の相承ですが、かたちのないこの血脈の相承というものを、目に見えるかたちで表していることに絵系図の特色があるといえます。より具体的に関係を表すことを目ざしたもので、庶民を対象に教化をすすめるための工夫とみるべきでしょう。絵には俗人の女性や子供も描かれますが、そうした人びとには血脈の関係を具体的に示す必要があったのだと思います。
名帳には集団の連帯を強めるという側面がありましたが、連帯を強めるには絵系図の方が効果的であり、集団の組織化をすすめるためにも有効なものであったといえるでしょう。
(熊野恒陽 記)