【二百十八】承応の鬩牆 その二十七 「安心相違之覚書」
2020.02.29
准秀上人が承応三年(一六五四)の八月初め、九条幸家、二条康道、板倉重宗たちに送った「安心相違之覚書」は、良如上人の安心が真宗の本来の安心とは相違していることを述べる書付です。この書付は承応二年(一六五三)四月十四日に月感に渡された「対延寿寺被仰出条々」に対し、批判を加えたものです。「対延寿寺被仰出条々」は月感と西吟の争論への裁定書として月感に渡されたものであり、良如上人の意見をそのまま記したものです。「安心相違之覚書」はその良如上人の意見を誤ったものとして批判するものです。安心が相違しているため誤っているのだというのです。
「安心相違之覚書」では四箇条にわたって、良如上人への批判が記されています。批判が記されているといっても、「安心相違之覚書」には直接に批判を述べた文が記されるというわけではなく、各箇条とも、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の著わした書の一文を引いているだけです。これら親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の著わした書の一文は、良如上人の意見が誤っていることの証文として引かれたものです。証文を引くことによって、親鸞聖人、良如上人の安心が相違しているということを示そうとしているのです。
「安心相違之覚書」で最初に批判されているのは、月感の西吟は諸法の理ということを重んじているとの非難に対し、「対延寿寺被仰出条々」で良如上人が「学問を教える時には聖教の理を明らかにして説かなくてはならないし、理を知らなくては人びとを教化することもできない」と述べていることについてです。これへの批判として、まず、『歎異抄』の一文が引かれます。
親鸞ノ仰ニ、シカルニ念仏ヨリホカニ往生ノミチヲモ存知シ、マタ法文等ヲシリタルラント、コヽロニクヽオホシメシテオハシマシハンヘルラハ、オホキナルアヤマリナリ、親鸞ニヲキテハ、タヽ念仏シテ、弥陀ニタスケラレマヒラスヘシト、ヨキヒトノオホセヲカフリテ、信スル外ニ別ノ子細ナキナリ
ついで引かれるのも『歎異抄』の一文です。
又覚如ノ云、タマヽヽナニコヽロモナク、本願ニ相応シテ念仏スルヒトヲモ、学文シテコソナントヽイヒオトサルヽコト、法ノ魔障ナリ、仏ノ怨敵ナリ
そして、この後には蓮如上人の『御文』の一文が引かれます。
蓮如ノ云、ソレ、八万ノ法蔵ヲシルト云トモ、後世ヲシラサルヒトヲ愚者トス、タトヒ一文不知ノ尼入道ナリトイフトモ、後世ヲシルヲ知者トストイヘリ・・・モロヽヽノ聖教ヲヨミ、モノヲシリタリトイフトモ、一念ノ信心ノイハレヲシラサル人ハ、イタツラコトナリトシルヘシ
いずれも法文、学文より、念仏、信心が大切だということを説くものです。『歎異抄』はいまは唯円房の著述とされていますが、この時代には覚如上人が書いたものと理解されていました。要は、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人は、皆、学問ではなく信心を大切にしたのだと、准秀上人は主張しているのです。
「安心相違之覚書」は続けて、月感の西吟が自性一心ということばかりを説いているとの非難に対し、「対延寿寺被仰出条々」で自性一心は仏教の根本となる考えで、自性一心の理がないというのなら、それは正法を誹謗するものだと述べられていることを批判します。ここに引かれるのは親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書にみえる唯心の浄土の考えなどを咎めた一文です。自性一心は唯心の浄土の考えに通じるものであり、真宗の教えにはない誤ったものだと主張しているのです。
このほか「安心相違之覚書」では、学寮で学問の進度に応じ階位を定めていることと、西吟の門弟が書いた『私観子』に名号に功徳がないといった内容のことが記されていることが批判されています。学寮の階位については親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書にみえる賢善精進の相を示すことを戒めた一文、名号に功徳がないということについては、名号の功徳を説いた親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書の一文が引かれます。
「安心相違之覚書」ではこうして各箇条とも、親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人の書の一文が引かれていますが、これは意図的になされているものです。西本願寺の教えは親鸞聖人、覚如上人、蓮如上人と相承されてきます。相承の師の書いた文を並べることで、良如上人の意見が西本願寺が伝える教えとは全く違うものだということを示そうとしているのです。
(熊野恒陽 記)