【二十七】「女人教化」 ~夫婦は人としてのあるべき姿~
2019.08.26
存覚上人の書いた著述には、了源上人の希望によって著されたものがいくつかあります。いずれも了源上人が教化をすすめる上で必要としたために撰述を依頼したものであり、それをみることで、上人がどのような教化を行なおうとしていたのかをうかがうことができます。神祇についてのとらえ方を説くものや、真宗の肝要を述べるものなど、著述の内容はさまざまですが、そのなかに『女人往生聞書』と題される女性の信仰を論じた述作があって、上人が女人教化ということを教化上の課題としていたことが知られます。
女性への教化の取りくみは、日本の中世仏教がひとしく推しすすめたもので、いわゆる新仏教の各宗のみならず、旧仏教の諸宗にも共通してみられる動向です。各宗とも、それぞれの教説にそったかたちでの女性の救済を説いたり、宗派の祖師が女性を救ったとの話をあげたりと、一様に女性に対する救済を強調して、女性への教化をくりひろげていきました。法然上人が室(むろ)の遊女を救ったとの話も、そうして喧伝された話です。
大きくみるなら、了源上人が女人教化を課題としたのも、時代の影響によるものといえますが、上人の場合は、上人が属した荒木門徒にもともと女人教化の伝統があったことから、直接にはそれにならったもので、女人教化のあり方についても多分に荒木門徒と共通した部分がみられます。
荒木門徒の女人教化は、普通にいう女人教化とはいささか違った方途がとられていて、夫とともに妻をも教化するというふうに、夫婦の関係を中心に据えて女性への教化を行なっていました。これは了源上人にもみられるところで、絵系図には、筆頭に了源上人とその妻である了明尼の夫婦の姿が描かれるとともに、以下につづく教えをうけた人びとも、大部分は夫婦の姿で描かれています。なかには単身で描かれる人物もいますが、それははじめから結婚していなかった人とみられ、夫婦の姿で描くのが基本的な形式であったことは間違いありません。絵としては夫婦が夫婦をみちびくということを表現しているわけであり、荒木門徒の特徴を伝えたものといえるでしょう。
夫婦の関係は、世俗の社会にあってはもっとも普遍的な関係ですが、もとより出家の立場からは許されるものではなく、男性と女性ということにしても、通常は男女の別を説いて、男性と女性とが混在することをいましめています。仏教の常識からするのなら、夫婦の関係を重視する荒木門徒の教化方法は異例ともいえる方法なのですが、荒木門徒があえて夫婦の関係を重視したのも、親鸞聖人が妻帯したという事実を踏まえてのことで、根底は聖人の行実にもとづいています。
荒木門徒では、親鸞聖人の事績のうちでも、聖人の妻帯ということがもっとも重要なことととらえられていたらしく、荒木門徒が伝えた『親鸞聖人御因縁』という伝承にしても、そこで語られるのは聖人が結婚したという話です。この伝承は玉日伝説のもととなった伝承で、聖人の結婚相手は玉日ということになっていますが、要は聖人と玉日が結婚したとして、聖人の妻帯ということを主題としています。妻帯が聖人の一生の活動を特徴づけるものとしてとらえられていたからこそ、妻帯にまつわる話が語られたのでしょう。
聖人の結婚ということを強調するのは、荒木門徒独自の傾向であって、たとえば覚如上人が著した親鸞伝絵などは、聖人の一生を描いたものにもかかわらず、逆に聖人の妻帯については、一切、触れられていません。一般的には、覚如上人のように、妻帯ということをことさらに強調しないのが普通だったと思います。
荒木門徒が夫婦の関係を重視したのも、こうした見方に立ってのことですが、荒木門徒の場合には、聖人の妻帯ということにならいながらも、さらにそれを一歩すすめたところもあって、単に妻帯を肯定するにとどまらず、むしろ夫婦で仏道にはげむことを念仏者としてのあるべき姿だとみていたようにも思われます。妻帯が在家仏教の表象であるならば、まさに徹底した在家主義ということができます。
了源上人の女人教化にしても、基底には在家主義ということがあるわけであり、教化のあり方も、当時、くりひろげられた出家仏教の女人教化とは、おのずと違ったものとなっています。夫婦の関係の重視など、出家の立場からは卑俗なものともとられたでしょうが、世俗とともにある在家仏教の立場からするなら、人間の基本となる関係を認めた極めて人間的なとらえ方だといえるでしょう。
(熊野恒陽 記)