富田林興正寺別院
正面門(薬医門)
富田林興正寺別院は、興正寺第16世証秀上人が磯長御廟参詣の際に、富田林100貫文の地所を購入して御坊を建立したことに始まります。
永禄年間(1558-1570)には、富田林御坊を中心とした寺内町が整備されていきました。
鐘楼と太鼓楼
その後、寛永15年(1638)に本堂が、安政3年(1856)に対面所が、文化7年(1810)に書院と庫裏が再建され現在まで受け継がれています。
「興正寺掛所」、「興正寺門跡兼帯所」と称されていましたが、明治13年(1880)に富田林興正寺別院となりました。
真宗道場形式の本堂としては近畿圏最古の遺構で、旧寺内町の中核として高い格調と景観をみせる貴重な建物となっています。
本堂の襖絵「竹梅図」、「松図」は狩野派の絵師狩野寿石(1639-1718)によるものであり、本堂、対面所、鐘楼、鼓楼、山門、御成門は国の重要文化財に指定されています。
本堂外観と堂内